|夜の舞踏、或いは大地. について|

 

“ 物語、輪郭の滲んだ物語 ” の冒頭において記述された “ 彼と私による、ある種の共同作業 について.

彼とは、“ いまだ小さき夜のために ” の筆記者であり、[ 初原、行列する集落 ] における小夜の父であり、私とは、意図せず物語に巻き込まれた被害者であるし、彼の共犯者だ.

 

 

 

  •  “ 夜の舞踏、或いは大地. ” とは、舞台の名称ではないこと.
  • ある一つの括りであること.#1~へとリンク.
  • それは、 私と小夜の父の共同作業であること.

 

 

 

私は、舞台を見たいと思ったのである.新鮮な舞台を.

新鮮なものとは、

新鮮なもの、それは、イメージと現実との境界にあるもの、ほんのわずかに現実と触れた時に、一切興味がなくなってしまうような、現実の中での可能性を併せ持ち、しかし、現実に入る直前の、可能性見満ちた状態、その境界、

 

わたしが、観客の一人のようにと言った場合、私は、わたしこそが、その境界にいる一人として、という意味である.現実世界の中でその居場所を確立しているものに対して異議を唱えるつもりは毛頭ない.

 

 

だから言ったではないか、私は、彼が記したすべての断片を読んだのだ、と.

恐らく、下のテキストが、小夜の父が費やしたすべての夜の、最後の夜に記されたテキストであろう.

彼は、創造を “ 欺き ” で締めくくったが、小夜の父は、このテキストで締めくくった.

恐らく、小夜へのプレゼントが以下のテキストに集約されているのだ.だから、言ったではないか、計画はすでに成就されていたのだと.

私とは誰だ、ぼくとは誰だ、私は、債務を負ったのだ.彼に.彼とは一体誰だ.

もういい、うすうす分かっていたことだ.

小夜、踊ろう、ダンスを始めようか、

 

 

 

 

以下、最後のテキスト.

 

ぼくが過ごした多くの日数は、ぼくの記憶を正しく整え、黄金色の輪郭で縁取られた形象は、いよいよ鮮明に、小夜、ぼくを覚えているだろうか.

僕について言えば、それは、うすうす気づいていたことだし、どうしようもないことだし、もううんざりだ.

 

小夜、そろそろ始めようか.

 

ぼくと同じ日数の中で、かつては、“ いまだ小さき夜 ” と語られた君も、今や、夜は君に満ち溢れ、夜は君に充足し、更に増し加わり、更に削ぎ落され、更に純一となって、余すところなく、今まさに.

小夜、君の夜は、僕が語り尽くそう.奇しき、異形の夜を.

 

小夜、踊ろう.

 

抑揚の失われた私の声で語られる、僕の物語だ.

 

小夜、小夜、